スタイリングが最高に良い ホンダアコードセダン E-CD4 EX
アコードで初めて3ナンバーになった車です、カーオブザイヤーを獲得したりしましたが、私の印象ではそれ程、ヒットしたアコードでは無かった記憶があります、しかし、私はこのアコードは名車だと思います。3ナンバーになったのは車幅が170cmを超えて3ナンバーとなりました、そのためトレッドも広がりコーナーリング性能はFFの癖を感じさせない抜群のものでした、その証拠にJTCCのツーリングレースでは他を寄せ付けない速さでした、それではアコードの案内をしていきます。最後にはみなさんもアコードの魅力で好きになってください。
〖アコードの歴史〗 は SJ/SMから
〖初代〗アコード SJ/SM型(1976-1981年)
初代のアコードです、バンパーの作りなどは安全性や交通事故などに相手も傷つけない作りですかね、当時からホンダらしい作りですね、それに前に開口部があるボンネットのダクトなどよく見ると色んな工夫が施されていますね。
1976年5月に登場。シビックのCVCCの1.5L EF型エンジンをストロークアップして搭載していました。
1977年10月発売。バンパーの大きさがアメリカ基準の大きさです、アメリカでの販売を見越した、確か『5マイルバンパー』でしたか❓私は大きなバンパーはあまり好きではありません、セリカリフトバックの時も後期型が大きなバンパーになりました
〖諸元〗
- 〖駆動方式〗 FF前輪駆動は現在では当たり前のように発していましたが当時は構造が複雑でまだ珍しかった。
- 〖エンジン〗 EF型:1.6L 直4 SOHC CVCC ➱EP型:1.6L EK型:1.8L 直4 SOHC CVCC
- 〖変速機〗 4速MT/5速MT/ホンダマチック
- 〖サスペンション〗 前後マクファーソンストラット
- 〖ホイールベース〗 2,380mm
- 〖全長〗 3ドア:4,105 – 4,125mm/4ドア:4,325 – 4,450 mm
- 〖全幅〗 1,620mm
- 〖全高〗 3ドア:1,340mm/4ドア:1,360mm
- 〖車両重量〗 3ドア:835 – 875kg/4ドア:895 – 945kg
〖2代目〗アコード SY/SZ/AC/AD型
1981年9月にフルモデルチェンジで登場。フルモデルチェンジですが丁度この頃ではないでしょうか、マツダのファミリアBD105でしたか❓ボーイズレーサーと言ってハッチバックの車が流行しました、外装はフェンダースポイラーたるものが出てきてフェンダーに角のようなスポイラーを付けてました。
世界初のカーナビゲーションがメーカーオプションでありました。私の知識で行くと地図はOHPシートを入れ替えていく方式だったと思います。ジャイロは『ガスレートセンサー方式』ここからも私の知識ですが間違っていましたら訂正をしてください。このガスレートセンサーは構造はガスを噴射して曲がる時にガスの軌道を読み取って車の動きを見ている方式で、軍用で戦車などで使われていたと記憶しています、私もレジェンドに搭載されていましたが、暖気するまで安定しないし、よくナビがズレてしょっちゅう調整が必要でした。
〖諸元〗
- 〖型式〗 SY/SZ/AC/AD型
- 〖エンジン 前期 〗 EP型:1.6L 直4 SOHC CVCC II / EK型:1.8L 直4 SOHC CVCC II
- 〖エンジン 後期 〗 EY型:1.6L 直4 SOHC CVCC II / ES型:1.8L 直4 SOHC CVCC II
- 〖サスペンション〗 F/R マクファーソンストラット
- 〖ホイールベース〗 2,450mm
- 〖3D 全長/全幅/全高/車両重量〗 4,210mm/1,650 mm/1,335mm/3ドア:915 – 960kg
- 〖4D 全長/全幅/全高/車両重量〗 4,410mm/1,650 mm/1,355 – 1,375mm/4ドア:920 – 970kg
製造国や何度もエンジンの改良を行っているのか、型式が変更されているのを見ると、いかにも発展途中で、試行錯誤しているのがわかります本田宗一郎らいしいですね妥協をしないのがわかります。こうやって進化してきたんですね。
〖3代目〗 アコードCA CA1/2/3/4/5/6型 1985y’~
1985年からCA型(CONTINENTAL ACCORD)となり、この辺りから私の記憶にもあるアコードになります、印象はとにかくステリングが軽かった覚えがあります、まるでアメ車のように、そうですねアメリカを狙った車だったのでしょうね、販売は北米、オセアニア、ヨーロッパですね、ヨーロッパ仕様はヘッドライトがリトラクタブルではなく4灯ヘッドライトでした。それにホンダ車のカッコい良いところ、フロントフェンダーが薄く、車高が低い事ですね。
〖諸元〗
- 【販売期間】1985年~1989年
- 【エンジン】 型式に分けて搭載
- CA1=A18Aエンジン、1.8L、シングルキャブ 最高出力:110PS/5,800rpm
- CA2=B18Aエンジン、1.8L、CVデュアルキャブ 最高出力:130PS/6,000rpm
- CA3=B20Aエンジン、2.0L、PGM-FI 最高出力:160PS/6,300rpm
- CA4=A16Aエンジン、1.6L、シングルキャブ(南欧)最高出力:88hp/6,000rpm
- CA5=A20Aエンジン、2.0L。シングルキャブ最高出力:105PS/5,500rpm/PGM-FI(日本、北米、欧州、豪州)、B20Aエンジン、2.0 L、PGM-FI(欧州) 最高出力:120PS/5,800rpm
- CA6=A20Aエンジン、2.0L、PGM-FI(クーペ)最高出力:120PS/5,800rpm
- 【サスペンション】 F/R ダブルウィッシュボーン
- 【車両寸法】全長/全幅/全高/ホイールベース 4,535mm/1,695mm/1,355mm/2,600mm
- 【車両重量】 1,000 – 1,150kg
CAアコードからDOHCエンジン『B18A/B20A』搭載車が登場しました。しかもエンジンはアルミニウム製でしかも足回りはダブルウィッシュボーンと、FF車初でホンダがアコードに力を入れる姿勢が伺えます、確か当時のホンダは新開発をまずアコードに搭載していたようです。
1985年 日本カーオブザイヤー受賞車です
ホンダオブアメリカで逆輸入のアコードクーペ CA6
1988年に発売されたアコードクーペ、アメリカのオハイオ工場で生産され、国内初の逆輸入モデルです。低いフロントノーズに薄いフロントフェンダーの2ドアクーペ、シートベルトはドアに付いていて乗るとシートベルトが目の前に来て着用するというタイプでした、当時左ハンドルに乗る機会があまりなかったので、たまに乗ると新鮮で楽しい車でした。ワイパーとウィンカーのスイッチが日本車と逆なので慣れるまで、ウィンカー出すつもりがワイパーが動いて恥ずかしい思いをしてた記憶があります。
赤い内装に本革シートに左ハンドル、北米基準でガラスは色なしのガラスがまた良い雰囲気を出してます、こんな車が普通にディラーで新車で買えた時代です、今でも状態の良い物が安くあると欲しい車の1台です。このような車がまた出ると良いですね。
アコードエアロデッキ
1985年に日本と欧州で3ドアのアコードエアロデッキが発売されました、この後に続くアコードワゴンのの前景ですが、当時はまだ受け入れられずあまり売れていた車の印象はありませんが、今見るとカッコいいですね、少し大きくなったバンパーにストンと落ちたテールの処理、斬新なデザインですね、今これを出すと売れるのでは❓
〖4代目〗 アコード CB 1/2/3/4型 1989y’~
CBアコードが出てきて、まず印象的なのがマルチリフレクターヘッドライトでした(アコードと言うよりも『アコードインスパイアー』ですね)、あのギラギラしたヘッドライトが私的にはウルトラセブンの目のように見えましたが私だけでしょうか😅でもこのライトはあまり明るいライトでは無かった記憶があります。
セダンの基本のようなスタイリングで、当時はローライダーへの改造が結構流行っていて、インチダウンのワイヤースポークのホイールにメッキのフェンダートリム、ローダウンやハイドロ組んでジャンプしている車もありました。他社メーカーではなかなか採用されていなかった4輪ダブルウィッシュボーンの足回りならではの改造で4輪が単独で作動させていました。
外装とは雰囲気の違う内装で、スポーティな内装です、低いダッシュボードで視界も良く、充分なヘッドクリアランスもとれていました。
カーナビゲーションが初めてオプション設定となりました、やはりアコードには最新技術を投入してきます。
〖諸元〗
エンジン型式: F18A/1.8L SOHC F20A/2.0L SOHC /DOHC F22A/2.2LDOHC
サスペンション: 4輪ダブルウィッシュボーン
ボディサイズ:全長/全高/全幅/ホイールベース 4,680mm/1,390mm/1,695mm/2,720mm
車両重量:1,150 – 1,350kg
1991年 ホンダオブアメリカ アコード クーペ/ワゴンの発売
このイーグルマークに全長がわかるサイドマーカーにグリーンのガラスが新鮮でカッコ良かったアコード。
欧州仕様
私の感覚で言うと、このアコードワゴンが世間のステーションワゴンの位置づけを変えた1台だと思います、今までは、このようなスタイルは商用のバンのイメージがありましたが、当時他メーカーの車は車体の角がだんだん落ちて丸くなっていっている中、四角いボディとお洒落なスタイルにルーフレール、しかもアメリカからの逆輸入(ホンダオブアメリカ)とカッコいいです。
〖5代目 〗CD3/4/5/6型(1993-1997年)
ここからCDアコードになります、わたしはこのCDアコードのスタイリングに素直で安定感のある足回りでアコードシリーズでも好きな1台でした。特にセダンのスタイルは良いですね、低いフロントノーズに丸みお帯びたテールの処理、3ナンバーサイズになった広い車幅にトレッドと完成度の高い車と思います、CDアコードの紹介をしていきます。
私の記憶で行くと、アメリカではお医者さんなどがよく乗っていてホテルなどに乗り付けるとホテルボーイがベンツと同クラスのパーキングに移動をしていたいう事を聞いた覚えがあります、車格と安全性かと思いますが、間違いでしたらすみません。
アコードのエンジンでいうとここからSiRでいよいよV-Tec搭載車が登場しました。
足回りはの開発にはホンダがよくやる、レーシングドライバーの黒澤元治が加わって開発(SiRは中嶋悟)がすすめられました。良い出来だと思います。
1994年にはホンダオブアメリカの逆輸入でCDクーペ/CEワゴンが発売されワゴンに関しては一世風靡をするほどの勢いでした、イメージ的にはこの時代はセダンでもクーペでもなくワゴンがこの車の代名詞のようになっていました。
後期型はトランクにテールランプが入ります、個人的には前期型のこのシンプルなテールが好きです。
〖諸元〗
まずは乗っていたCD3型EXです、これはCDシリーズでも下の方のグレードではありましたが、一番売れていたグレードだったかと思います。
【型式】 E-CD3
【エンジン】 F18B/水冷直列4気筒横置/SOHC ベルト駆動 吸気2 排気2
【最高出力(PS/rpm)/最大トルク(kgm/rpm)】 125/5,800 / 16.8/4,500
【ボディサイズ】 全長(m)/全幅(m)/全高(m) 4.675/1.760/1.410
【ホイールベース(m)】 2.715
〖トレッド(m)前/後〗 1.515/1.500
【サスペンション】 ダブルウイッシュボーン式(前/後)/トーション・バースタビライザー
【車両重量(kg)】 1,240
無限のフロントグリルにカナードのドアミラーがなかなかいい感じではないですか、フロントスポイラーは実はオデッセイのRA1用です、ヘッドライトはSiR用で内装は本革のシート~内張りまで総入れ替えでかなり凝った仕様でした。
1996年からJTCC(全日本ツーリングカー選手権)に参戦し1997年に初優勝をした。
特にジャックスアコードはカッコ良かったです、プラモデルも作りました、このステッカーがなかなか難しかったですね、今見てもカッコいい
プラモデルは残念ながら生産中止になってます。
エンジンはレギュレーションに合わせて H22Aをbaseに2.0Lに排気量をダウンして、後方排気に変更してクロスフローで吸排気の効率を上げて、公表では最高出力は310ps/8,500rpmでした、恐らくこの数値以上のパワーは出ていたと思います。
JTCC
JTCC(Japan Touring Car Championship、日本ツーリングカー選手権)は、日本で開催されていた自動車レースの一つです。この選手権は、特に1990年代に非常に人気がありました。以下に、JTCCについての詳細を紹介します。
概要
JTCCは、FIA(国際自動車連盟)のツーリングカーレギュレーションに基づいて行われた国内選手権で、日本国内の市販車をベースにした改造車がレースに参加しました。主に4ドアセダンの車両が使用され、ツーリングカーとしての技術や性能が競われました。
歴史
JTCCは1960年代に始まりましたが、特に1994年から1998年までの期間が最も注目されました。この時期には、全日本ツーリングカー選手権として広く知られるようになり、国内外の自動車メーカーやドライバーが参加しました。
参加車両とメーカー
JTCCには、多くの日本の自動車メーカーが参加しました。特にトヨタ、日産、ホンダ、マツダなどが代表的で、それぞれのメーカーが競技車両を開発し、技術力を競い合いました。以下は主な参加車両の例です。
- トヨタ・コロナ EXiV
- 日産・プリメーラ
- ホンダ・シビック
- マツダ・アクセラ
レース形式
JTCCのレースは、日本国内の主要サーキット(富士スピードウェイ、鈴鹿サーキット、筑波サーキットなど)で開催されました。各レースは、予選と決勝で構成され、ポイント制で年間チャンピオンが決定されました。
特徴
JTCCの特徴の一つは、市販車をベースにした競技車両が使用されることです。これにより、観客は日常的に目にする車がレースで活躍する姿を見ることができ、親近感が湧くとともに、各メーカーの技術力を直接感じることができました。
終了とその後
JTCCは1998年を最後に終了しました。その後、SUPER GTやスーパー耐久シリーズなど、他のモータースポーツシリーズが注目を集めるようになりましたが、JTCCは1990年代の日本のモータースポーツの黄金期を象徴するシリーズとして記憶されています。
JTCCは、日本のモータースポーツファンにとって重要な歴史の一部であり、今でも多くの人々に愛され続けています。
服部がドライブするジャックスアコード
中子修がドライブする無限カストロールアコードがドライバーズチャンピオン、またTEAM無限HONDAもチームチャンピオンを獲得しました。
あまりにも速すぎてレギュレーションもどんどん変更されてホンダは途中で投げ出したような感じで終了したのでは無かったですかね。
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