TOYOTA Supra TwinCam24 Twin Turbo GA70
T社に就職をして約1年半程経った頃に、GA70スープラが発表されました、時代はバブル全盛期、『24時間働けますか』など仕事だけしていれば、他の事は殆どが許された時代です、今思えば、良かったのか?悪かったのか?そんな時代に衝動買いをしたのが70スープラでした、このスープラの思い出も取り入れながら、車の紹介を兼ねて記事を作成しました、昭和の良き時代を思い出してください。
Toyota GA70 Supraは、1986年から1993年にかけてトヨタ自動車が製造したスポーツカーです。このモデルは、スーパーカーの要素と当時の「ハイソカー」の要素を取り入れた、ラグジュアリーなスポーツカーです。
※ハイソカーと“High society car””の略で高級な自動車を指す言葉でした、代表格はソアラやレパードなどがありました。
GA70 Supra GT TWINTURBOは、2.0L 直列6気筒ツインカムエンジンにツインターボを搭載し 185PSというハイスペックなエンジンを搭載しリアホイール駆動のFRもでるです。足回りはアルミ製のダブルウィッシュボーンのサスペンションを持ちハンドリングも優れていました。さすがにバブル期です高価な仕様です。
デザイン面では、流線型のリトラクタブル式のヘッドライトが特徴で、スポーティで洗練された外観を持っています。
昭和61年納車の日です、懐かしい😀 ここからは相模ナンバーになりました
バブルで日本中が活気があったころ、21歳で買ったデビューしたてのSUPRA 2.0TWINCAM TWINTURBO
納車の日、張り出したフェンダーに未来的なデジタルメーター、スイッチ一つで足回りの減衰力が変わるTEMSと一目惚れで衝動買いをしたこの車、このスープラのお蔭で沢山の友人もできて色んな所にドライブに行き楽しい青春をおくれました😀
≪車両説明≫
- 2.0GTツインターボ
- 〖車両型式〗 E-GA70
- 〖生産開始〗1986年2月
- 〖エンジン〗2.0L 直列6気筒 1G-GTE 国産初のツインカム24Vツインターボ (水冷インタークーラー)
- 〖最高出力〗185PS/6200rpm 24.5kg/3200rpm
- 〖サスペンション〗4輪ダブルウィッシュボーン
- 〖車両寸法〗全長4,620mm 全高1,300mm 全幅1,695mm
- 〖車両重量〗1480kg
バブル期を象徴した国産車達
バブル期(1980年代後半から1990年代初頭)の日本は、経済が非常に活発であり、自動車業界もその影響を受けて多くの象徴的な車が生まれました。以下に、バブル期を象徴する国産車のいくつかを紹介します。
1. トヨタ・ソアラ (Toyota Soarer)
トヨタ・ソアラは1981年に初代が発売され、高級クーペとして人気を博しました。特に、バブル期には高性能なエンジンと豪華な内装が評価されました。
2. 日産・スカイライン GT-R (Nissan Skyline GT-R)
R32型スカイラインGT-Rは1989年に発売され、高性能スポーツカーとしての地位を確立しました。RB26DETTエンジンを搭載し、その卓越した性能は「ゴジラ」の愛称で知られるようになりました。
3. ホンダ・NSX (Honda NSX)
1990年に登場したホンダ・NSXは、アルミ製のモノコックボディやVTECエンジンを搭載し、スーパーカー市場に革新をもたらしました。アイルトン・セナのテストドライブでも有名です。
4. マツダ・RX-7 (Mazda RX-7)
バブル期のRX-7、特に1991年に登場したFD3S型は、ロータリーエンジンを搭載し、軽量で高性能なスポーツカーとして愛されました。
5. 三菱・GTO (Mitsubishi GTO)
1990年に登場した三菱GTO(海外では3000GT)は、ツインターボエンジンや四輪駆動、四輪操舵などの高度な技術を搭載し、パフォーマンスカーとしての地位を築きました。
6. トヨタ・セルシオ (Toyota Celsior)
1989年に発売されたセルシオ(海外ではレクサスLS)は、トヨタのフラッグシップセダンとして、高級車市場において高い評価を受けました。
7. スバル・レガシィ (Subaru Legacy)
1989年に登場したレガシィは、スバルの代表的なモデルとなり、AWD技術と水平対向エンジンを搭載し、スポーツ性と実用性を兼ね備えた車として人気を集めました。
これらの車は、当時の技術革新やデザイン、そして性能の高さを象徴しており、現在でも多くのファンに愛されています。バブル期の日本車は、その時代の豊かさと技術的な進歩を反映しており、今もなお多くの人々の記憶に残っています。
Supraの歴史はセリカXXから
アメリカではこのxxの文字がダメだったようですね
初期型はA40 Supraです 北米仕様
USでは全長がわかるようにフロントとリヤにサイドマーカーが必要でした、あとバンパーが国産より安全基準上大きくなっています。
国産でも販売していましたが、あまり人気はでず、スポーツカーというよりは、どちらかと言うとラグジュアリーな印象の車でした、見た目も大人しく重量感はありました。
整備で現役時代には良く点検や修理で入庫してきましたが、この時代はまだパワステが全車に付いておらず、セリカは割とパワステ付が少なくハンドルの重い記憶があります、スタイリング個人的にはあまり好みではありませんでした。
2代目は北米仕様のA60 セリカスープラ、無茶苦茶カッコ良いです👍オーバーフェンダーがたまりません‼️
2代目は国産ではセリカXXです、北米仕様になるとオーバーフェンダーが付きテールゲートに大きめのスポイラー、サイドマーカーが装着され、私も昔何度か見る機会があり見ましたが、最高にカッコいい車です、当時はスープラGA70を売って、乗り換えようかと思ったくらいです。今でも良い出物が出たら飛びつきそうな車です。
ここからです、トヨタ(YAMAHA)の直列6気筒DOHC TWINCAN24 1G-GEU が爆発的に売れましたね、確か7800rpm位まで回ったような記憶があります、トルクはあまりありませんでしたが高回転が回るのでマフラーを換えると良い音がしてました。
GA70スープラ 2.0TWINCAM24 TWINTURBO
国産で初代のスープラとです。発売当初はバブル期でもあり、ハイソカー全盛期で最新技術が惜しみなく搭載された車でした。足回りなどは、アルミ製のダブルウィッシュボーンであったり、恐らく現在の車で作るにはコスト的に無理な車ではないでしょうか。
基本的なシャシ構造はソアラと同じでした、マークⅡの3兄弟は確かフロントストラットにリヤがダブルウィッシュボーンでスープラとソアラが一段格上の車になりますね。
内装もラグジュアリーな雰囲気で、いかにもバブル期の車です、ちなみにオーディオはカセットデッキでした。まだこの頃はCDすらそれ程普及していませんでした。
当時ネタですが昭和61年は今では無い『レンタルレコード』でした今では音楽はネットでダウンロードなどですが当時はレコード盤をレンタルして、カセットテープに録音をして、時には自分でベスト盤を作ったりとしていた時代です。その後にレンタルCDへと変わっていきました。
ちなみにこの頃でも、時々8トラというオーディオが付いている車もありました。8トラご存じですか?
1988年8月にマイナーチェンジが行われ、フロントバンパー中央部が盛り上がった形状にまた、テールランプのデザインが変更。フロントバンパーの形状変更は恐らく私の車体は高速走行時フロントのバンパーとグリルが持ち上がって開いていたので、その対策かと思います、個人的には初期型のバンパーが好きですね。
ツーリングカーレース グループA
グループA(Group A)は、1980年代から1990年代初頭にかけて国際自動車連盟(FIA)によって制定されたツーリングカーレースのカテゴリの一つで、世界中の多くのレースシリーズで使用されました。以下にグループAについての詳細を説明します。
概要
グループAは、市販車をベースにした改造車両が参戦するカテゴリで、製造元が一定数の同型車を生産し、一般市場に販売することが求められました。このカテゴリは、モータースポーツにおいてメーカーの技術力を競う場であり、各社のスポーツモデルが活躍しました。
規則
グループAの規則は、市販車をベースにしているため、改造には制限がありました。具体的には以下のような点が特徴です。
- ホモロゲーション:レースに参加するためには、ベースとなる市販車が一定台数(通常は5000台)生産され、一般に販売される必要がありました。
- エンジン排気量:エンジンの排気量に応じてクラスが分けられました。例えば、1600cc以下、1600cc超~2500cc、2500cc超などのクラスがありました。
- 改造範囲:エンジン、サスペンション、ブレーキ、車体などの改造は一定の範囲内で認められていましたが、ベース車両の基本的な構造を保つ必要がありました。
代表的なレースシリーズ
グループA規定の下で行われた主要なレースシリーズには以下のようなものがあります。
- 世界ツーリングカー選手権(WTCC):1987年に一度だけ開催されたシリーズで、世界各国のサーキットを巡りました。
- 全日本ツーリングカー選手権(JTCC):1985年から1993年までグループA規定で開催されました。
- オーストラリアンツーリングカー選手権(ATCC):1985年から1992年までグループA規定で開催されました。
代表的な車両
グループAで成功を収めた代表的な車両には以下のようなものがあります。
- 日産・スカイライン GT-R(R32):強力なRB26DETTエンジンと四輪駆動システムを備え、多くのレースで圧倒的な強さを発揮しました。
- BMW M3(E30):軽量で高性能な2.3リッター直列4気筒エンジンを搭載し、ヨーロッパを中心に多くのレースで活躍しました。
- フォード・シエラ RS500 コスワース:ターボチャージャー付きの高性能エンジンを搭載し、特にイギリスツーリングカー選手権で成功を収めました。
終焉とその後
1990年代初頭に、グループAは徐々に他の規定に取って代わられました。FIAは1993年にグループAを廃止し、代わりにグループN(より制限の多い生産車両カテゴリ)とスーパーツーリング(より自由な改造が可能なカテゴリ)を導入しました。しかし、グループA時代の車両とレースは、多くのモータースポーツファンにとって今でも特別な存在です。
グループAは、技術とスピードの競争が繰り広げられた時代であり、その時代の車両は今でもコレクターズアイテムとして高い人気を誇っています。
開通当初は、首都高速のレインボーブリッジの上に沢山の車が停車して夜景をみていました、警察も頻繁に出回って橋の上ではスピーカーで停車をやめるようにアナウンスが流れていました、確か時報ごとに橋のイルミネーションの色が変わってましたね、今もですかね?
1G系のエンジンはヘッドのバルブステムシールが弱くすぐにオイル下がりをしてました、私の車もヘッドは途中でオーバーホールしました、ついでにポート研磨もしておきました、ポート研磨後燃費が上がったんでよ‼️👍
これは、バルブクリアランスを決めるのにシムの厚さをダイヤルゲージで測って計算している所ですね、当時は結構得意で一発で決めてました👌
インタークーラーへ行くパイプもカッコいいですね、この後赤に塗装しました、この年代はエアフロメーターがついてますね。
当時はスープラ&セリカXXのオーナーズクラブに入って月に1回のツーリングや同じ趣味の仲間と楽しい時間を過ごしてました。
これは箱根ターンパイクだと思いますが、これは恐らく平成の初めころではないでしょうか、合同ツーリングで走った時の画像です、先頭は私です、すごく懐かしく一番楽しかった頃ですね😀
昔は赤レンガ倉庫にも車で入れました、コンテナは本牧ふ頭です
この赤レンガ倉庫は『危ない刑事』のエンディングで舘ひろしと柴田恭平が歩いてましたよね、カッコ良かった。この頃は、浜田省吾や柳ジョージ、矢沢永吉と歌詞に出てくる建物など探して横浜や横須賀をドライブしたものでした。
私の車は エアロメーカーのREGULUS のデモカーでした、こちら撮影時の画像です当時は色んな雑誌に出てました。
神奈川に住んでいた頃に共に過ごした一番の思い出深い車です、この車が無かったら、恐らく神奈川での楽しい生活や、友達また今の生活までも変えた車だと思います。
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